なぜ私は日本に魅了されるのか(by Peter W)

Peter in England

幼かったころ、わたしはいつも自分の生まれ育った場所には無い人々や土地の夢を見た。主に見たのは、森深い山の合間の、藁葺きの屋根の木造の家屋が並ぶ村の風景だった。川がそばを流れ、そこで平穏な生活が営まれているように見えた。

毎朝早く簡素な服装の男が、供を連れて山頂を目指して森に入っていく。時々、私は距離を保ちながら彼の後を追った。数時間も歩いた後、彼は池のほとりに着き、服を脱ぎ、水に入っていき、滝の下に座り瞑想をした。松の巨木の下で瞑想をすることもあった。

天気がいい時には、よく夢で見かける別の男が川べりに座り、何か手仕事をしていた。彼が何をしているのかは、私にはわからなかった。簡素な道具を使い、作っているものは彼の手の中に隠れて見えなかった。

(私はずっと、この二人の男たちは別人だと思っていたが、今はもしかしたら同一人物だったのかもしれないと思っている。同じ男の、別々の年代の姿を見ていたのかもしれないと。)

私はこの光景を幾度となく見た。両親や叔父叔母はこの話を嫌がったので、私は他の誰にもこの夢の話をしなくなった。
しかし、夢を見ることは不定期に続いた。光景を夢見るというよりは、寝ている時も起きている時も突然やってくるフラッシュバックのようだった。
もっとも印象的だったのは、川に魚を捕りに来る、イノシシ、鹿、鷹といった動物たちの光景だ。

少し大きくなると、私は木片や小石になにやら彫りこむようになった。彫刻をしようと集めるものには、必ずなぜか小さな穴がひとつかふたつ開いている。なぜ穴の開いているものばかり選ぶのか、自分でもまったくわからないのに! 集める木片や小石は、ちょうど手のひらにすっぽりと収まる大きさだった。

ある日、テレビに映し出されたある田舎の風景に私は心を奪われた。そこには、いつも夢に出てくるような山々や森、家屋があった。それは日本の風景だった。 
私は混乱した。私はずっと長い間、アメリカのインディアンの風景を夢に見ているのだと思っていたのだ。
夢の風景がどこの国のものかわかったが、そのことは両親には話さなかった。第二次世界大戦の経験から、家族の間では日本に関する話は決してされなかったのだ。

長い時間がたって、この夢の話を再び思い出すことになった。私は仕事を変え、森で働き暮らしていた。私の上司は一人暮らしの女性で、英国人ではなかったが、英語は流暢に話せた。その上司のもとで働くようになって数週間がたち、私と上司は彼女の家で雑談をするようになった。私は彼女の持ち物の中に、小さな彫り物があるのを見つけた。その彫り物にはどれも、小さな穴がひとつかふたつ開いているのを見つけて、私は衝撃を受けた。私が幼いころに作っていた彫り物とこれは同じだろうか? もちろん、そのキャビネットに飾られた彫り物の美しさに較べたら、私の作っていたものなど、へたくそで未完成であったが。

彼女にその彫り物の由来を尋ねると、ポーランド政府の外交官だった彼女の父親が、大使として日本に赴任していたときに手に入れた物だと言う。その小さな彫り物は「根付け」とか「帯留め」と呼ばれているものだった。日本のものだったのだ! 着物にポケットが無い日本の人々は、これらを小さなポーチや箱につけて、帯に留めて使うのだ。

それから私は、キャビネットに飾ってあった彼女の彫り物を真似して、彫刻をするようになった。一日の殆どを、これらの繊細な形の木や象牙の彫り物を、手に持ってじっくりと見つめることに費やした。彫り物の中には繊細な色彩で彩色されているものもあった。どんなにがんばっても、私の絵の具で同じ色は出せそうになかった。上司の女性は日本ものをたくさん持っていて、多くのものは根付けと同じ彩色をされている。彼女はこれはラッカー(うるし)だと教えてくれた。日本のすぐれた伝統工芸品に多く使われているものだと。

彼女のコレクションは、人物をデザインした物が多かった。私は昆虫の彫刻に一番魅了された。曲線を描き、象牙を模しているようなものもあった。イノシシの牙を彫ったものだ。昆虫を彫ったものは、まるで生きているように見えた。どれもよく見ると、裏に穴がひとつ開いている。そして、黒い直線や曲線がたくさん書き込まれていた。彼女はそれが日本の文字だと私に教えてくれたが、それを読むことはできなかった。

10年後、私は「Cotemporary Netsuke 現代の根付け」(レイモンド・ブッシェル)という本に出会った。ブッシェル氏のコレクションの写真集だった。私は夢中でページを繰った。様々なデザインの根付けがたくさん掲載されている。ネコ、犬、馬、人物、鳥…あらゆるデザインの根付けがあった。神話や伝説にしか出てこない神や幽霊や妖怪や鬼をモチーフにしたものもあった。

57ページ、58ページ…私の目はあるページに釘付けになった。そこには、いのししの牙に繊細な彫刻を施したものが載っていた。上司のコレクションの中にあったものと似ている。。
私はある本を読んだばかりだったので、その作品の由来を知っていた。

突然、私は幼い頃に見ていた夢を思い出した。その本は彫刻を教えるある学校についての、簡単な歴史の説明で始まっていた。それは、「石見学校」と呼ばれ、今は島根県と呼ばれている日本の南西地方にあったという。石見は山あいの森深い地域だという本の記述が、私の夢の記憶を呼び起こした。
そこの富春という老彫刻家が、元女性上司のキャビネットの作品にあったような、長い碑銘を作品によく彫っていたという。そしてそこに書かれていた内容はまさに私が夢で見ていた光景だったのだ。「富春がかあい川のほとりでこの作品を彫る」「じほう寺のある山あいのはこ湖の東側で富春によって作られた。天命壬寅(みずのえとら)年(1782年)春」

それだけでは十分ではなかったので、私は富春とその娘文章女についても調べた。文章女は俳句もたしなみ、富春は川柳に非常に長けていたという。俳句も川柳も私にとっては未知の領域だったしまだまだ勉強中ではあるが、私は自分なり韻文作りをすんなりとはじめることができた。

これらはすべて偶然だろうか?

これ以降、私の仕事は森林保護官から彫刻家へと代わった。私はかつては狩猟管理人として野生動物の保護をしていた。私は動物や鳥や草木、花について学び、それらを乱獲や密漁から守っていた。しかし事故により背中を痛めてしまったので、私は今はこれが根付だと知ることができた小さな彫り物を作ることにした。
それ以降ずっと、私は精力的に石見根付についての情報を集めている。どんな小さなことでも知りたいが、情報は少なく、それはとても困難な作業である。何度私は日本語が読めたら、日本に行き、昔石見と呼ばれていた地方を訪れることができたら、と願ったことだろうか。ただ静かに、私の夢に出てきた人たちが歩いていた土地を歩き、彼らが座っていた場所に座ってみたい。

現代の根付け:高円宮コレクションという新しい本を入手することできた。主に日本内外の現代の根付彫刻家たちのデザインを見るために買ったのであるが、根付についてという短い文章を読むことができた。
「かつて博物館を訪ねたとき、私は100年ほど前の、山間で働く人々の絵を見た。人々は小さなのこぎりやおのに紐をかけ、紐を木の根や枝や小石にあけた穴に通し、木の根や小石を帯に挟んで、道具を帯からぶら下げていた。

これは、私は夢で見ていたものの用途を教えてくれ、幼い頃に私が彫っていた木片や石にあいていた小さな穴は、偶然以上のものだったのだと教えてくれている。


http://www.city.gotsu.shimane.jp/discover/dis-g-5.html















までには、長い時間がたち、